祭りのざわめきが遠くに聞こえる




DEAR ロザリア
 
 今度の土の曜日の夕方、飛空都市のはずれにあるジンジャというところでお祭りがあるの。
 一緒に行かない? 

                                    FROM アンジェリーク




 午後の休息のひととき、ばあやはお茶と共に、手紙も一通持ってきた。手紙を読み終えると、お気に入りのカップに注がれたミルクティーを揺らしながら、ロザリアはそっと微笑む。
「またあの子ったら…」
 このところ、同じ女王候補の一人であるアンジェリークからの手紙が多い。本来はライバルであり、最初こそ競争心を燃やしていた彼女たちであるが、試験も後半戦にさしかかるにつれ、友情のようなものが芽生えていた。
「もうどっちが勝ったって関係無いわ」
 時々ロザリアはそう思う。
 もちろん、試験課題である大陸の育成は、手を抜いたりはしない。しかし、宇宙の各地から集められた守護聖たち、女王補佐官のディア、そしてもう一人の女王候補アンジェリーク、さまざまな人々に囲まれて、ロザリアはひとつ大人になった。これまでの自分を動かしてきたもの、これからの自分を動かすであろうもの、そういった自分を形作るものが、おぼろげながらに見えてきていた。
「お祭りか…。行ってみたいわね」
 ロザリアは小さくつぶやいた。

                             ▼   ▼

 ジュリアスの執務室。仕事のため訪れていたオスカーはこう尋ねられた。
「飛空都市のはずれで、小さな民族的祭りが行われるそうだが、知っているか?」
「はぁ、存じてはおります。なんでも、飛空都市ニホン人会主催、だそうで。それがどのような団体なのかまではさすがに…。なにぶん小さな祭りだそうで…」
 しかしジュリアスは聞いているのかいないのか、窓の外を眺めている。
「オスカーはその祭りに参加するのか?」
「いえ、特に行ってみる価値もないのではと…」
 ジュリアスはしばし黙り込む。そして、オスカーの方を向き直って言った。
「守護聖としてやはり様子を見に行かねばならないと思うが、一緒にどうだ?」
 ひえー、とオスカーは思った。実は、その祭りに行かない、と言ったのはウソで、理由はたいがいの人の想像通りである。
 顔色を悟られてはいけないと思い、思わず窓の外に顔を向ける。さっきまでジュリアスが眺めていたところには、まぶしい午後の日差ししか見えない。
「その、私はその日、しばし仕事がありまして…」
 下手な言い訳。しかも冷や汗付き。
 いつもなら、理由はどうであれ断わればひどく睨まれる。こんな態度ではなおさらだ。しかし今日は違った。ジュリアスはむしろ少し微笑みを浮かべながら、穏やかに言った。
「そうか、では一人で行くとしよう」


「ねえ、お祭りは行けそう?」
 木の曜日、廊下を歩いていたロザリアはアンジェリークに呼び止められた。
「あら、お返事忘れていたみたい。ごめんなさいね」
「ううん、いいのよ。お互い忙しい身だし」
 彼女はまるで気にしていないかのように切り返す。
「本当にごめんなさいね。お祭りは行きますわ。夕方からは特に用事はありませんし」
 人間関係は、お互い気を使わなければうまくいかないけど、気を使いすぎてもうまくいかない。昔のロザリアは、相手と、貴族である自分との両方に気を遣い過ぎていた。今こうして自然体でいられることがロザリアには心地良かった。
「実は、どうせならにぎやかな方がいいと思って、ランディ様とゼフェル様、マルセル様もお誘いしたの」
「それじゃもっとにぎやかに、ルヴァ様やオリヴィエ様もお誘いしましょうよ」
「あ、それいいね」
「それに、ルヴァ様は『ジュリアス様保険』よ」
「プッ」
 アンジェリークは思わず吹き出す。女王候補の勝手な行動にはジュリアスはうるさい。しかしルヴァが一緒だとそれもいくらか軽減される。
「それいい! 夕方から夜にかけてだもんね。保護者がいればたぶん、ね?」
「そうそう、誰か大人がいないと、あとで育成を頼みに行った時なんかに『女王候補としての自覚』について、延々お説教されたりしてね」
「そうそう、『女王候補としての自覚』の話なんて、それで午後いっぱいつぶれたりして」
 話の途中、炎の守護聖オスカーが通りかかり、二人にあいさつをして去って行った。これをきっかけに、二人の女王候補はそれぞれの用事を思い出し、手を振って別れた。


 自室に戻ったオスカーは頭を抱えていた。
 帰る途中、女王候補の二人とすれ違ったが、いつもの軽口やデートの誘いを言うこともなく、あいさつをしただけで通りすぎた。それくらいオスカーは考え込んでいた。
『では一人で行く』
 確かにジュリアス様はそうおっしゃった。最近のジュリアス様は人間が丸くなられたし、女王候補の二人ともよくデートをしておいでだ。だから、祭りに行かれたとしてもおかしくはない。しかし…
 一人で行って、そこに何が楽しみがあるのだろうか。
 オスカーは祭りに一緒にいく女性の姿を思い浮かべた。黒い髪に黒い瞳、オリエンタルな魅力、つまりニホン人だ。祭りの情報は彼女から聞き、彼女の方から誘われた。(こういうイベントの夜は事がスムーズに進むものだ)
 彼女とのデートは断われない。しかし、もしもばったりジュリアス様とはち合わせたら…。これまでの先例から言って、深く追及はされないであろう。しかし、新女王の即位を目前にしたこの時期、彼の信用を失うのはリスクが大きい。
「それもこれも、ジュリアス様の真意が分からないからだ」
 結論をつい口走る。ジュリアス様は言ったことは必ず実行する。そしてそれは必ず明確な意思と目的を持っている。しかし今回の件については、その意思や目的が見えない。飛空都市の人々の生活を知るため? それならば、なぜ今まであった数々の祭りやイベントには参加されなかったのか。それに、こんな小さな祭りなんて、報告書にすら載らないのではないか。人間が丸くなられたから? おそらく彼をそこまで変えたのは金の髪の女王候補だろう。ならば彼女と行くのが筋というものだ。
「分からない、本当に分からない」
 オスカーは暗くなった部屋の中で、ずっと頭を抱え続けていた。

                             ▼   ▼
               
 もともとこの飛空都市は、人工的に作られた土地に宇宙中の人が集まることにより出来ている。そのほとんどは主星出身者であるが、それ以外の星系の者も多い。またその主星自体も、数多くの移民から成り立っている。
 したがって、特定の民族、国籍、文化の人々がグループを構成するのは当然の成り行きである。彼らは、その生活スタイルこそ主星の文化に合わせているが、自由のきく範囲内では自分たちの文化を守り通している。また、女王陛下もそういった動きを歓迎している。(例えば地の守護聖ルヴァのターバンなど) 
 そしてたまたま、辺境の星の、そのまた小さな島国の民でしかない人々が、偶然にもこの飛空都市に多く集まり、飛空都市のはずれにジンジャを建て、祭りを行おうとしていた。


 ところで、守護聖の中でこの祭りの情報をいち早く掴んでいたのは、意外なことにジュリアスであった。守護聖のリーダーとして、常に飛空都市の動向に気を配っている彼であったが、特にこのニホン人グループには注目していた。
 いまジュリアスの手元には一冊のノートがある。光の守護聖は代々、日記を必ず書き、それを指南書がわりに後任の者に手渡す習慣がある。そのきっかけとなるったのがこのノート、はるか昔の光の守護聖の手記である。
 そしてその守護聖は日本人であった。またその職業はサムライであった。
 もちろん、当時の辺境の民が女王陛下や守護聖について知ろうはずもない。宇宙にも出たことがなく、そこに多くの人が住んでいるのも知っていないのだから。当然新しい生活や守護聖の任務は彼にとってカルチャーショックであり、大きな重荷となってのしかかった。
 そしてその時の苦労を彼は一冊のノートにしたためた。
「この古代民族文字は解読し難いが、その努力以上の価値がある」
 ジュリアスはこのノートをこう賞賛している。というのは、ジュリアスのように生まれたときから守護聖としての自覚と誇りを植え付けられた人物はごく稀で、多くはマルセルのように、あるいはゼフェルのように、教育が不十分な状態で守護聖としての任務を要求される。主席守護聖であるジュリアスは、そうした心情をくみ取らなくてはならなかった。そしてその一番のバイブルがこのノートだった。
 また、単なる読み物としてもこのノートはおもしろかった。古い国の習慣や文化が懐かしむように書かれており、ジュリアスはそこに、すべての守護聖に共通する故郷への愛を見た。そして何度も読むうちに、いつしかその「ニホン」という国とその国の文化に惹かれていった。
 
「アンジェリークから聞きました。お祭りには私も行ってみたいと思っていたところなんですよ」
 育成を頼みに訪れたロザリアに、地の守護聖ルヴァはまずこう言った。
「あの子ったら、こんなことは早いんだから…」
 ロザリアは思わず苦笑する。実はここに来るまでの間、どうやってルヴァを誘えば良いのかずっと悩んでいた彼女にとって、それは思わぬ展開であった。
 何も知らないルヴァは、自分もつられて笑う。
「何か一つのことに夢中になれるのはとても良いことですよ」
「ええ、でも私も、お祭り、楽しみですわ」
 それを聞いてルヴァは安心する。
 飛空都市へ来たばかりの彼女は、貴族意識をとても強く持っており、したがって決して人付き合いが良い方ではなかった。彼女が育成する大陸は、発展はすれど、どこかいびつで、常に緊張していた。そんな彼女を、どこか無理をしているのでは、とルヴァは心配していた。
 しかしその心配は無用だった様だ。彼女は数々の試練の中でめざましく成長した。女王試験は接戦を繰り広げているが、もし二人の女王候補のうち、どちらが女王に即位したとしても、その資格は十分であろう。能力的にも、人間的にも。
「…実は、何を着て行こうかと悩んでいるんですよ。今晩あたりオリヴィエに相談しようかと…」
「え、オリヴィエ様?」
 ロザリアは思わず叫んでしまう。
 夢の守護聖オリヴィエ。おシャレな衣装持ち。でもその趣味は…
「でも、オリヴィエ様にまかせると、またとんでもないことに…」
「そうですねぇ。いつかのあの、女装、とかいうのにはほとほと参りました。顔中塗りたくられて、その挙句『素材が悪い』とか言ってマルセルの方を追いかけて…」
 二人して笑う。ロザリアは心の中で、ルヴァ様は本当はとても素敵な方なのに、オリヴィエ様もそれを分かっててからかってらっしゃるんですわ、と思う。
「そうそう、今日も育成ですか?」
「はい。お願いします。大陸の民は、ルヴァ様のお力をとても喜んでいますの」


「では、私はこれで来週までおいとまいたしますが、くれぐれもカタルヘナ家の一員としての自覚を持って行動してくださいね」
 ロザリアは軽くうなずく。ばあやはしばらく留守にするらしい。以前はそれを不便に思った彼女であったが、今ではそれを、自分一人で物事を成し遂げる一つの機会だと思っている。
「それにしても…」
 カタルヘナ家の自覚、いつもばあやは同じことを言う。今のロザリアは、そんな家名に縛られず、もっと自由な広い宇宙ではばたきたかった。
「お祭り、何着ていこうかな」
 ほんの小さな外出だけど、それを楽しみにしている自分が嬉しかった。今までの自分は、家名にふさわしくあろうと自分を小さく押し込めていたけど、ほんのちょっと外に出てみるだけで、こうも楽しい気分になれる。

 それに、さりげなくルヴァ様も誘えたし。
 ロザリアは心の中でそっと呟く。
 落ち込んでしまった時、心の闇に閉ざされて何も出来なくなってしまった時、ルヴァ様は決して私を見捨てたりはされなかった。いつでも同じように、立ち直るまでずっとそばにいて下さった。
 ルヴァ様。いつでも誰にでも優しい。その優しさが自分一人に向けられたものでは無いことは知っている。勘違いした時もあった。しかしそれは自分の気持ちに気付く一つのステップであったと思っている。
 その優しさを、受け留める人もいれば無視する人もいる。私が、それを一番たくさん受け留めてもいいですか?

 クローゼットを開ける。いかにも貴族の令嬢らしく、たくさんの豪華な服が並んでいる。
「えっと、これはこの前のお茶会の時着たし、これはその前のパーティーの時…」
 万が一に備え、かなり多めに服を持ってきたはずであるが、どれも何度か袖を通してしまっているようだ。
「こんなことなら、ばあやに何着か持ってきてもらうんだった」
 あきらめかけたその時、隅の方に几帳面にしまわれた服が目についた。それは彼女の一番のお気に入りの、とっておきの時に着て行こうと決めていたドレスだった。

                              ▼   ▼

 その日は朝からどことなく雰囲気が違っていた。ごくありふれた一日であるにもかかわらず、微妙な空気の緊張が感じられた。そしてそれは決して不快ではなく、胸踊らせるような予感を秘めていた。これがニホンで言うところのハレとケの世界なのであろうか。

 ジュリアスは日記にこう書き留めている。
 その胸の高まりが祭りへの期待感によるものなのか、それともこうしたイベントに私人として初めて参加することへの緊張感なのかは分からない。日中の職務を怠るような彼ではないが、その日の仕事内容には、微妙ではあるがやや甘いところが見受けられた。
 夕方、彼は私邸にて服を着替えた。先代の守護聖の手記には、祭りにはそれにふさわしい服装があることが述べられている。また、歴代の守護聖の制服やいくつかの私物は倉庫に保管されており、はたしてジュリアスは昔の守護聖の私物の中から、祭り専用のコスチュームを見付け出すことができた。
 浴衣。
 着付けの方法は分からなかった。しかし残された守護聖の写真から、どうにか違和感のない程度には着替えることができた。ただし、長い髪をそうやったら棒のように出来るのか分からず、結局後ろで一つに束ねた。
 遠くから、ドン、ドンという、開催を知らせる花火の音が聞こえる。
「ほう、大砲が合図とは豪快なことだ。さて、私も出発することにするか」
 下駄をカランコロン鳴らせてジュリアスは私邸を出た。おそらく祭りに向かう人々だろう、通りにはカップルや親子連れが同じ方向に歩いていく。彼は慣れない下駄のせいで、歩みがとても遅い。しかしこうした不自由ささえ、それを楽しんでいるかのように、まっすぐに身を起こして進む。


 ロザリアはあせっていた。スカートの裾をひるがえしながら、小走りに急いでいた。日は沈みかけ、町並みが赤く黒く染まりつつある中、何度も転びそうになったが、急がないわけにはいかない。
「私としたことが失敗だったわ」
 午後の予定を終え、一息つくためゆっくりとアフタヌーンティーを楽しんだのがいけなかった。あのようなドレスは一人で着るのには難し過ぎた。気が付くと思わぬ時間がかかってしまい、髪のセットもそっちのけで部屋を飛び出した。

 たぶんまだ五分はあるはず。
 ロザリアは走りながら考える。約束の場所、飛空都市のはずれの神社まではたぶんちょうどそのくらい。
 もしこの時、彼女に周りを見わたすだけの余裕があれば、もう五分早く出て、歩いて神社に向かっていたならば、彼女は自分の置かれている状況に気付いたかもしれない。

 自分では急いでいるつもりでも、無意識の中では気付いていたのかもしれない。石段を登るにつれ、足取りは重たくなった。
 女王試験には体育の授業は無い。いつのまにか体力が落ちているのかもしれない。
 登り切った所で、肩で息をしながらしばらくうつむいていた。しばらくそうしていると上の方から声がした。
「よう、遅かったじゃないか」
 あろうことか駒犬の上にまたがって、ゼフェルがロザリアを見下ろしていた。その台座の周りにはアンジェリークの他に幾人かの守護聖がいる。
「あ、ロザリア、とてもきれいな服だね」
 アンジェリークも話しかける。そしてロザリアは気付いた、自分がどういう服でここに来ていたのか、を。
 アンジェリークとそしてオリヴィエは見慣れぬ民族衣装を着ている。祭りを楽しむ人々の中にも、同じ様な服を着た人が多い。
「あ、これね、オリヴィエ様のクローゼットにあったの借りたんだ。ユカタ、っていうんだけど、似合うかな」
 ゼフェルとランディ、マルセルは民族衣装ではなく、かといって執務服でもなく、それぞれ、ランニングシャツに短パン、TシャツにGパン、ポロシャツに半ズボンといういでたち。
 ルヴァは時々着ている外出着。
「どうしたの、行こ」
 ロザリアはうつむく。
 自分はどうしてこんな服を選んだのか。どうしてもっと考えたり、人と相談したりしなかったのか。自分はどうしてこんなことも分からなかったのか。
「……こんな庶民の行事なんか、貴族であるわたくしには、まっぴらごめんですわ!」
 くるりときびすを返して、その場を逃げ出すように石段を駆け下りる。
「言ってくれるじゃねーか」
 ゼフェルは思わず口走るが、みるみる遠くなるロザリアの後ろ姿に、フィ、と顔をそむける。
 アンジェリーク達はしばらくその場に突っ立っていたが、やがてあきらめたように夜店の方に歩きだした。


「一つ、『おみくじ』を引くこと」
 ジュリアスは何度も胆に命じた。その守護聖は祭りの楽しみを、おみくじ、おみこし、夜店、浴衣の女性、この四つに分類していた。そしてそれをジュリアスは何度も口ずさんで暗記していた。
 実は『おみくじ』たるものが何なのかは分からなかったのであるが、ちょうど会場の入り口に受け付けテントがあり、そこで問い詰めて情報を仕入れた。(作者注:受付の人、ご苦労様)
 わき目もふらずに神社に向かう。受け付けの人によれば、まず賽銑箱にお金を入れるらしい。
「多ければ多いほど良いらしいな」
 財布の中から高額紙幣を取り出す。紐を揺らして鈴を鳴らす。
「全宇宙が女王の下で平和でありますように」
 お祈りも彼らしい。
 そしておみくじを引く。白と赤の服を着ている女性の見守る中、ジュリアスはそれを朗々と読み上げる。


中吉

全体運:マニュアル通りに行動すれば吉。その真面目さがあなたの願いをかなえる。
仕事運:何事にも一生懸命が吉。ライバルは思わぬところで見ている。 
健康運:体力低下のきざしが。よく食べ、よく寝て、体力の蓄えを。
ラブ運:異性には親切にすべし。しかし二兎追うものは一兎も得ず。下心のないことも示すべし。


 その声があまりにも大きかったので、周りにいた人々は思わずジュリアスを見る。しかしジュリアスは何事も無かったかのようにおみくじを木に結び付け、そして言った。
「次は『おみこし』だな」

                             ▼   ▼

 薄暗い部屋。
 そこに二人の守護聖がいる。闇の守護聖クラヴィス、そして水の守護聖リュミエール。
 リュミエールはハープを演奏している。静かな曲。やがて演奏が終り、リュミエールは楽器を傍らに置く。
「クラヴィス様、いったいさっきから何を熱心にご覧になっておられるのですか?」
 クラヴィスの手元には、大きな水晶球が怪しい光を放っている。
「…面白いものが、見えるのだ…」
 彼はそれ以上語ろうとはしない。リュミエールは諦めて、再び楽器を手に取り、演奏を再開した。
 水晶球の中には、祭りを楽しむジュリアスの姿が、くっきりと映し出されていた。

                             ▼   ▼
 
 アンジェリークたちは、さっきのロザリアの事も忘れて遊びまくっていた。
「ねえスーパーボールすくいやりましょうよ」
「ランディ競争だぜ」
「よしっ負けるもんか」
「そんな服の濡れる遊び、私はやーよ」
「ねえねえボクあのでっかいのが欲しい」
「それは百個すくわなきゃだめなんだよぉ」
「えーっ」
「それじゃ私も…ああ、破れてしまいました」
「やった、百個達成よ!」
「あーいいなー」
「だめっ、これわたしの戦利品!」
「いくぜ、スーパーボールアタック!」
「ばかっ、なにすんだよー」
「まあまあ二人とも、たこやきでも食べましょうよ」
「オレ、タバスコ入り」
「俺は飲み物にコーラ」
「マヨネーズかけて!」
「それでは私も一つ…」
「やーよ、そんな歯に青ノリ付く食べ物」
「あ、なんだかゼフェル様のおいしそう。パクッ、◎▲×■(口から火を吹いている)」
「大変、ほらアンジェ、飲み物」
「(はっ、これって間接キス…?)」
「どうしたの?」
「(やはり背に腹は…)ゴクッ」
「ヒューヒュー間接キス!」
「そっ、そんなんじゃ(二人して真っ赤に)」
「(ちょっとムカッ)おい、あれやろうぜ」
「わーいかたぬきだー」
「俺はこのゾウの絵にすべてをかける」
「わーん、ボク、ゼフェルの小鳥の絵がいいーっ」
「わかったわかった、ほら交換してやるよ、って何だこのイカの絵は!」
「難しそうですねー、イカは足が十本なんですよ」
「できた!えっと、景品は『おいしい水』?」
「ゼフェル、俺のもあげるよ」
「ボクのも!」
「おまえら、オレを荷物持ちにしてないか?」
「ねえ、何か食べよーよー」
「それじゃ焼き鳥だ!」
「わーん」
「あの、イカ焼きでいいんじゃないですか?」
「飲み物にコーラ!」
「タバスコかけてくれ!」
「(もう食べないわ)普通の一本」
「またそんな口の周り汚れそうな物を…」
「おいしいですね、これは何という魚なのですか?」
「だからイカだっつーてんだろ!」
「あ、金魚すくいがある」
「定番だよね」
「よしっ、今度こそ勝負だ!」
「わーん、金魚を遊んじゃかわいそうだよー」
「マルセル、それが生きるということですよ。ところでこの魚はおいしいのですか?」
「わーん」
「またそんな服の濡れそうな事を…」
「ランディ何匹捕れた?」
「いや、アンジェの方が…」
「ふっ、金魚すくいの女王と呼ばれたわたしに勝てるとお思い?」
「それでは私も…破れてしまいました…」
「やったぜ、出目金ゲットだぜ!」
「ゼフェルってそんなゲームを…」
「それではもう一度…やりました、一匹捕れました!」
「わーん、それ食べるんだーっ! 動かないから死んでるのかなーと思ってお醤油かけたらピチピチ動いてそれをそのまま口の中に入れたらピチピチ動いていてゴクリ飲み込んだら胃の中でも動いていてそれを風流だとか珍味だとかいって楽しむんだーっ!」
「(一同)それは白魚の踊り食い!」
 
 
「うむ、そろそろ満腹だな」
『りんごあめ』をなめながらジュリアスは思った。たこ焼、はしまき、イカ焼きをはじめ、カキ氷、たいやき、なぜかチヂミやタコスといった夜店も回った。そのどれもが彼にとって珍しく、口にせずにはいられなかった。
「それに、『おみくじ』にもよく食べろ、とあったからな。おや、あれは?」
 ジュリアスの目にたくさんの顔が飛び込んできた、と思えばそれはプラスティック製のお面だった。
「へいらっしゃい。どーです一枚?」
 お面、といってもそれはジュリアスにとって見慣れた顔ばかりであった。普通こういうところにはアニメのキャラクターなどが並ぶはずであるが、ここには守護聖や女王補佐官のディア、女王候補の二人まである。
「やっぱ、一番人気はオスカー様。若い女性がみんな買っていきまっせ。若い男性にはやっぱ女王候補の二人。ディア様もそこそこ人気があるんですが、アイドルは低年齢化時代でっせ」
「女王陛下は無いのか?」
「あいにくお顔が拝借できないんで、あいすいません」
「…光の守護聖は売れているのか?」
「いやーあんまり人気ないですねー。そーいえばあんさん、どことなくジュリアス様に似ていらっしゃるような…」
「そうか、ではそれをもらおう」


 茂みが揺れる。
「ちょっと、どうしたのよ」
 シッ、とオスカーは連れの女性に耳打ちする。茂の陰から通りを見つめる。前方にジュリアス様らしき人物を見つけ、あわてて茂みにかくれたが、やはりそれはジュリアス様本人であったようだ。
「やはり来られていたか」
 浴衣を着てりんごあめを片手に、ゆっくりと優雅に歩いておられる。しかもあろうことか、自身の似顔絵のお面まで頭の横に付けている。
「少し機嫌が悪そうだ…」
 やはり今出ていくのはやめたほうがいいだろう。
「ねえ、どうしたのよ。なんか食べにいこー」
 女性はごねる。オスカーはすかさず女性の耳元に口を寄せ、言う。
「もう少し君とこうしていたいんだ」
 オスカーの言葉とまなざしに、女性は思わずしなだれかかる。
  

「あ、ジュリアス様も来ていらしたんですか」
 アンジェリークは目ざとくジュリアスを見つけた。(実はルヴァ以外、全員気付いていたのだが、あえて黙っていた)
「うむ、なかなか祭りというのも楽しいものだな」
 こんなことをしているならば育成を、とか、若い男女がこんな夜半に、とか何らかのお説教を覚悟していた年少の守護聖たちは、思わず口をあんぐり開ける。
「ジュリアス様からそんなセリフ聞くなんて、ちょっと意外。でもその浴衣、とてもお似合いですよ」
「うむ、おまえもなかなかに美しいぞ」
「やだっ、ジュリアス様ったら。あ、そのお面、かっこいいなー」
「かっこいい? むこうの夜店で売っていたのだ。おまえの面もあったぞ。それより、その手に持っている物は何だ?」
「これは、わたがし、というお菓子です。甘くておいしいくて、まるで雲で出来てるみたいにふわふわで」
 こうした会話に、オリヴィエ、そしてルヴァまでもが口を開けて凍り付く。
「わたしちょっとお面見てきますね。…キャッ!」
 勢いよく走ろうとした矢先、石につまずいて転んでしまう。
「大丈夫か?」
 ジュリアスは彼女を抱き起こすと、飛ばされた下駄を拾ってやる。しかし、その片方は鼻緒が切れていた。
「これは修理しないといけないな」
 そう言うと彼は懐からハンカチを出し、裂いて細い紐を作り、結んでいく。(作者注:ちなみに彼が今履いている下駄も、鼻緒が切れていたので自分で修理をしたのです。ちょっと自信を持っていたようですね)
「あの、ありがとうございます」
「うむ、どのみち、あのままでは歩けなかったからな」
 そしてジュリアスは『おみくじ』を思い出した。異性に親切にしろ、と書いてあった。そしてその後は…
「別に、下心があったわけではない」
「…は?」
「それでは、引き続き祭りを楽しむがよい」
 下駄を鳴らして粋に立ち去るジュリアスを、アンジェリークたちは氷の様に固まったまま見送った。


『わたがし』を持って歩きながら、ジュリアスは今日一日の出来事を振り返っていた。
 祭りとは本当に楽しいものだな。本来守護聖と一般の宇宙の民とは、心理的にも深い溝があるものと思っていたが、あそこいる時私は、一人の参加者でいることが出来た。あの先代の守護聖が故郷の祭りを懐かしがったのは、守護聖という垣根に疑問を感じていたのかもしれない。我々は職務の他にも、もっと民と交流を持たなくてはいけないのかもしれない。
 いろいろ考えているうちに私邸にたどり着いた。さて今日は日記を付けてから休むか、と思い玄関のドアを開けたとき、手元の割りばしに気付いた。『わたがし』を食べた記憶は無いのに、べたべたした液体が少しくっついている他、何もなくなっている。
「うむ、原料が雲だけに、空に帰ったか」
 ジュリアスは一人納得していた。

「まさかジュリアスがここに来ているとはね…」
「でも、楽しそうでしたよ」
 お面の店の前で、ルヴァとオリヴィエはアンジェリークたちを待っていた。『飛空都市限定』という売り言葉にそそのかされ、アンジェリークは少ない小遣いの中からどれを買うべきか、延々悩んでいる。ゼフェルは、造形が甘い、といちゃもんをつけ、マルセルは、チュピのが無い、とダダをこねている。ランディはオスカーのを買おうとして、それは女性に大人気、と言われ、しばし考えこんでいる。
「私たちも楽しかったですね。私はこれ一匹しか持って帰る物がありませんが」
 と言いながらも、ルヴァは戦利品を誇らしげに見つめる。水の入ったビニール袋の中には、小さな赤い金魚が元気よく泳いでいる。
「それにしも、ロザリアはどうして帰っちゃったんでしょうか?」
 オリヴィエはしばらく遠くを見つめた後、深くため息をつく。
「あんたって、本当に鈍感なんだから…」
 笛の音や太鼓の音、おみこしのかけ声や夜店の売り込みの声、人々の笑い声や足音、雑踏の中では様々な音がひしめいている。そういったざわめきの中では、この二人の会話はあまりにも小さ過ぎ、誰の耳にも届かなかった。

                             ▼   ▼

 自室のベットに突っ伏して、ロザリアは泣いていた。長く泣いていながら、自分がいったい何が悲しくて泣いているのか分からなかった。
 お気に入りのドレスは涙と埃でよれよれだった。何度か転んだらしく、肘や膝のところが汚れて、破れていた。フリルやリボンはほつれ、どこに行ったのかわからない物もあった。
 自分はなぜここにいるのか、自分がここにいる理由はいったい何なのか。もう何もわからなくなっていた。
 心の闇。
 いつしか自分が闇に囚われた時、もうここにはこないだろうと思った。来たとしても、すぐに抜け出せるだろうと思った。しかし、闇はもっと深かった。
 やっぱり自分は貴族という入れ物にすっぽりはまっていなければいけないのか。飛空都市、聖地、宇宙、広く自由な入れ物の中に居てはいけないのか。
 でも、もう家には戻れない。
 家名を背負って女王候補となった以上、女王になる以外、戻るべき家は無い。そして、貴族とそれ以外の人々との間に、拭い去れぬ深い溝が横たわっている限り、宇宙には行くあてすら無い。
 自分で自分を追い詰めているのかもしれない。けれど今まで、自分で自分を追い詰めながら、エリートとしての自分、貴族の令嬢としての自分を作り上げてきた。
 もう自分の力では動けない。

 ノックの音がした。
 空耳だろうと思い返事をせずにいると、もう一度聞こえた。
 おずおずとドアの方へ近付く。
 またノックの音。そして呼び声。
「ロザリア、いますか?」
 ゆっくりとドアを開けると、そこにはいつもの執務服に着替えたルヴァが立っていた。
「おみやげです」
 元気よく泳ぐ、一匹の赤い金魚。
 目の前に差し出されたそれを、ロザリアはただただ、見つめるだけだった。

                                                            Fin.



ものすごい昔、たぶん4,5年くらい前に書いた小説。
コピー本にして出してたりしました。(売れなかったな…)
今読み返すと細部とかの詰めが甘くて恥ずかしい限りですが、
ロザリアLOVEなところを分かって下さい…


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